こんばんは。ドラマーの大井一彌です。
バンドメンバーであり、昔からの友達の、篠田ミルが死にました。
思ってることが纏まってしまわないうちに、思っていることを書く。
死亡、死去、逝去、他界、昇天、召天、、
人間の肉体が生命活動を停止することを指す言葉の多さを目の当たりにして、
人には人の 死 があるのだと初めてちゃんと実感した。
死を言葉にする時、それはもれなく、経験のない死について想うとき。
死んでみて、どの言葉が一番適切か死人本人が判断したものは存在しない。
知り得ないものを言葉にするとき、それは闇雲に多様化するのだなと思った。
いったい、自分がどう変化したのか、君自身はどう感じているのかしら?
姿形が変わるような感覚なのか、動いていたものが止まるような静的な感覚なのか、はたまた、果てしなく移動していくような動的な感覚なのか、全くの無なのか、、
少なくとも我々が知っている次元に君は居なくなった。
いる いない
を躍起になって定義しようとするほど僕は野暮じゃない。と思っている
なにか体験して素晴らしい感動を覚えたとき、それを作ったのが誰で、存命かどうか、なんてことは、僕にとっては念頭に置かれるような問題にならない。
たとえば音楽を享受することにおいては、そんな体験を積み重ねてきたからかもしれない。
会ったこともないどんなやつかも知らない人が作ったものが素晴らしかったら、僕はそれで充分なのだから、
そいつの存在が霞んでも、そいつの制作物や記録物、実際の記憶の存在感にはなんら影響が無いのだ。って感覚が身に付いている。気がするから。
だからどうって感じか
だから良いってことじゃないけどさ
君はもう今後なにも新たに生成しない。僕になにか言ったり、なにか聞いてくれたりもしない。会うこともない。
けどね、だとて、
君は僕の友人だし、僕は君の話をするし、君が居なかったことにもならない。
なのでミルくん、君は僕にとって、完結した漫画のような存在になった。
フラフラした僕を導いた灯台のような存在の人間が、いままでの人生で何人か居て、ミルはそのうちのひとりだった。
灯台がひとつ消えた。
でかくて、洒落た道筋を示してくれる灯りがいつも点っていたから、それがいきなりフッと消えると、
僕みたいな小舟からすると航海が少し不安だ。
バンドのメンバーで集まって、各自のスマホで、君が写ってる写真や動画を漁ったんだけど、
見事なほどにふざけた写真ばっかりで笑った。
いま僕が感じているのが、悲しさなのか、怒りなのか、愛情なのか、寂しさなのか、
自分でもよくわからないんだけど、これらの感情はいまの自分にとって、しっくりきていない。
けど、なんらかの果てしない感覚が僕の精神に新たに加わった実感がある。
なんか果てしないものに対峙している感覚がある。
だから、いわゆる追悼とか、いわゆるお悔やみ、いわゆるお祈り
みたいなものが僕にはまだどれもしっくりこないのだ。
まあ、
君が天国に行ったとするならば、よしんば地獄だったとしても、
君が最初にすることは
Wi-Fiのパスワードを聞く
とかそんなことだろうから、
そこまで心配してないよ
安らかな状態ほどキツいことは無いなと思ったりするから、どうか安らかに なんて言う気分にはなれないのだけど、
君の意識や存在が、僕らの知り得ないところでアクティブな状態にあるのならば、
良い感じでいてほしい。
きっといつか僕もそこに合流するかもしれないから。
さよなら、またね。
ミルの訃報を受けたとき、
すごい良い天気で、そこから数日、めちゃくちゃ過ごしやすい陽気で、
こんな最悪のお知らせを聞きながら、
僕の身体は、春から夏に向けて湿度と熱を帯びていく空気に喜びがあふれてくるようだった。
僕は生きている。
これを読んでるあんたも生きている。
生を謳歌しようじゃないか