僕の生業について

こんにちは。ドラマーの大井一彌です。

 

花粉の季節も終わりに差し掛かり、気温はどんどん上がってますね。こないだの冬で枯れてしまったかと思われた木や草花が、また青々と茂っているのを見て、その生命力の巡りを想って感動します。

 

 

本日はすこしだけ、僕にとっての、音楽そのものが持つ意義について述べようと思います。

インターネットの一番端っこみたいなところに位置するこのブログですから、これを読んでくれてる奇特なあなたに伝われば十分です。

 

 

 

僕の持論として、

音楽をやる目的を音楽以外に定めるミュージシャンは三流以下だと思っています。

 

特に、特定の政治思想を流布するために音楽を神輿のように扱う輩に対しては、嘆かわしい以外の感情を持ちません。

 

 

音楽なんぞに人の心に勇気を与える力は無いですし(あるのは、少しの思い込みや勘違いを起こさせる力に近いものだと思う)

 

ましてや社会を変える力なんてものは音楽には無いです。

 

ただそこにある効能など無いものを、ただ享受して、各々勝手になにか感じたり感じなかったりする。それが芸術だと思っています。

 

 

 

 

基本的に、音楽とは取るに足らないもの、大したことないもの、くだらない、冗談みたいなものなんです。

面白いからやってるだけなんです。

 

 

だからこそ僕は必死で音楽を目指すのです。

 

 

 

 

 

現実とはかくもしがらみだらけで自分本位、可笑しいほどにアンビバレント。

 

 

 

誰にでも当てはまる筋が通った大義など存在しないこの人間世界において、誰にとっても等しくただの音の羅列でしかない音楽というものはかけがえの無いものであり、それに従事する音楽家という仕事は本当に素晴らしいのです。

 

 

 

どういった価値を見出すかは人それぞれですし、実用性を由来とした音楽が間違っている って話じゃないんです。

宣伝のための音楽や、効果音としての音楽、古来には伝達のための音楽、儀式のための音楽、

音楽自体とは別の目的のための音楽に素晴らしいものが多くあるのは言わずもがなですしね。そもそもそういうものだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただそこに音楽を表現する機会があり、大切な友人が一緒にやろうよと誘ってくれたら、どこへでも出向く ということです

 

 

僕はノンポリですとか言いたいわけでもないのです。

ミュージシャンとしての属性を語る上で、

ただ音楽のために音楽を扱う人というだけの情報以外が僕に紐付くのは非常に窮屈です。

 

 

 

 

 

 

ちなみに僕は、神宮外苑の木を切っちゃうのは反対かな。あそこには良い思い出があるのでね。

 

 

2023/04/21