時々遊びに行くHさんの家の自室には、クローゼットの中に小さい冷蔵庫がある。
そこにはいつも『クービン』という瓶入り炭酸ジュースが常備してあり、Hさんの家に行けば必ずそのクービンが供され、それを飲みながら過ごす。
Hさんの馴染みの友人達は、Hさんの部屋に入るなり勝手にクローゼットを開けてクービンの瓶を取り出すくらい、彼の家に行ってクービンを飲むというのが当たり前になっていた。
亡くなってしまったHさんの家に伺う機会があった。
そこはかつて、皆の溜まり場のようになってもいたから、がらんどうになったその家の風通しの良さが、心に空いた風穴の大きさを物語るようだった。
「あったよ、クービン」
そう言われ、同行した友人に手渡されたのは、キンキンに冷えた透明な瓶。クービンだ。
驚いた。彼が逝ってからかなり時間が経っているし、家財道具はもうほとんど引き払っているというのに、クローゼットの中の小さい冷蔵庫はひっそりと稼働し続けて、クービンの瓶を冷やし続けていたのだ。遺族が気付かなかったのか。
結露した冷たい細い瓶を握り、透明の液体を一口煽る。
うまい。
スッと熱が引いていくような爽やかな甘味と炭酸に、香草のような香りが拡がる。最高のサイダーだ。
ベランダで昼寝していた連れ合い(死んだひとんちで昼寝する豪胆な連れ合い)のところへ持って行き、涙ぐみながらクービンを渡して、ふと気付いた。
このクービンというサイダー、Hさんの家でクローゼットの冷蔵庫から出てくる時以外、飲んだことがない。そればかりか、そこ以外では見たこともないのだ。
これまで皆、なんの疑問も持たず、Hさんの家でしか出てこないジュースを飲んでいたのか。
Hさんといえばクービン、クービンといえばHさんだった所以なのだが、不思議なことだ。
目が覚めて、ネットで検索したが、クービンなんて名前の炭酸ジュースは存在しなかったし、
生前のHさんの家に遊びに行ったことも無かった。
だが、美味かったなあ。
舌に残るあの爽やかな記憶と、夏の陽気に結露する冷えた透明な瓶。 あれは、何?
