imaginary Mongol

imaginary travel journal

 

 

日記:

 

 

 

1月4

 

ぬるい泥沼のような幸福と充実の全てが、統治者によってもたらされていると気付き、そんなとき、彼らの存在を知った。

何らかの理由で例の網を掻い潜る必要のある者たちが集まって共同生活を営む集団が存在するという噂は、どこにでもある胡散臭いウェブ記事に載っていた。

その程度のものだった。だがそれは確かに存在したのだ。私は行く。

 

 

 

 

21

 

渡航歴を抹消するために必要な工程のためにブローカーに渡った金額に驚愕しながらも、私はモンゴルに降り立った。中国を経由出来ず、カザフスタンとロシアの境界から陸路で向かう道中は地獄だった。

ガイドによれば、電磁網の影響を最小限に抑えた移動には、治安の不安定な場所を選ぶことが不可欠だと言う。第三世界の過疎地や、かつての鉄のカーテン以東の後進国における紛争地帯では、都市部とは違うアルゴリズムで生態検出システムが稼働しているらしく、通信を伴わない移動方法であればほぼ間違いなくドローンの追跡無く目的地に辿り着けるとのことだった。

 

 

 

 

113

 

北モンゴルで彼らと行動を共にするようになってもうすぐ2年が経つ。

遊牧民族の商隊と言えば聞こえは良いが、その実態は、定住法に従えず、違法ドラッグの密造や人身売買の仲介などをして路銀を稼ぎながらモンゴルの大地を彷徨う違法集団。何かしら事情がある様々な人種が集まった、サーカス団のような風体のコミューンだった。

とはいえ、その生活様式はモンゴル古来の遊牧民族のそれに忠実に準じており、運搬や食用に家畜を放牧し、ゲル式の移動住居に住まい、塩味のミルクティーを飲みながら、あてどない旅を続けている。今日はとても寒い。

 

 

 

 

1226

 

今日はコミューン定例の移動日だった。また場所を移さなければならない潮時がきたようだ。牧草地も痩せてきて、周囲にドローンの旋回が増えてきたのもあり、今回の場所も好きだったので残念だ。

あの疫病の時代が過ぎ去ったあとに大衆が求めたものは、世界に共通する管理体制と法制度だった。世界法として制定された初めての法律は、自らの身体的特徴やステータスその他個人情報全てをインターネットにアップロードすることの義務化だった。

かつてインターネットを媒介として、個人に差異のないことを善しとする思考のデザインが普及したのは偶然ではない。むしろそれはウイルスよりも凶悪に拡がった。

そうして到達した全世界共通の倫理のもとに、全世界に蔓延した大病を経て、皮肉なことに人々は心身ともに団結したのである。

かくして、同じウイルスを分かち合った地球人は、自らを裁く法まで分かち合ったのだ。

 

 

 

 

216

 

どこへ行くとも知れず、時に厳しい気候と軋轢に苦しみながら、それでも身を寄せ合いながら旅を続ける理由はなんだろう。

 

 

 

45

 

この生活を通して、実感として明らかになったことだが、旅を続ける奇怪なサーカス団員たちは、我こそはと、その共同体の中で特異な存在として認識されること、異端であることこそ最高の誉れとする共通の美徳を有している。

 

 

 

416

 

疑問が生じ、同時に嫌気が差してきた。

ここで生活を送ることで獲得せざるを得ない過剰な自意識は、私が求める自然体や自由とはまた違うものだった。このコミューンを抜けようと思う。

どこへ帰っても同じことだ。差異の無い世界も、差異のある世界も、結局どちらもデザインされたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

出典:

 

《大改革》について、遊牧生活を営む男へのインタビュー書き起こし

 

 

西暦何年頃に興ったのかすら誰も知らないその大改革は、確かにあったのだと僕は感じている。

ゲルを移動させながら放浪する理由にも僕は納得している。

大改革と時期を同じくして世界で採択された定住法の制定と、住居システムの統一規格導入が、全個人の追尾システム導入のうえで不可欠な前提になるということだ。

僕も詳しくは知らないけど、たぶん僕の数世代前までに起こった出来事だとは思う。

生物の発する微弱な波長を、衛星だかマントル層だかに埋め込まれた電磁網だかよく分からないシステムが検知して、地球上の全ての生物が一様に識別されるようになり、人間が運営してきた様々なシステムが不要になった。その代わりに地球上の全生物の生息データを集約して管理する存在が人間に替わって世界の統治を行うようになった。その出来事を、僕たちは大改革と呼んでいる。

大改革以前の生活を営むことをコンセプトに据えたコミューンにおいて、その時代的事件を大仰に呼称し共通認識を持つ必要があったんだと思う。

歴史の記録にはそんな事は書いていない。統治者は、改革についての記録を人類に残さないことを決定したようだ。

我々人類にしたって、改革だかなんだか知らないが、そんなものあっても無くても、結果同じことだ。

適度な戦争と適度な政治、適度な人種差別と適度な無知があれば、みな適度に生活できるわけで、その完璧な統治体制に文句を唱えるやつは、世界人口レベルで見ればほとんど現れなかったし、

ウェブに蔓延る陰謀論者の世迷言にはとっくにみんな聞き飽きていた。

皆が求めているのは自分と身の回りの幸福であり、それが叶う状況というのは、かつて世界の理想として掲げられていた平和や平等とは別の事だと皆が理解してしまったんだ。

矛盾?

でも、本当だと思うよ。

差異こそが生き物を生き物たらしめるんだ。良くも悪くもね。

ここに来る前は、別にそんなことどうでも良かった。幸せに暮らせる保証があるんだから。

でも、僕のようにどこかで歪んでしまった人は一定数居た。だから、差異や軋轢まみれの理想郷を作り出し、歪みながら過ごすことにしたんだ。

僕はここに居るよ、多分死ぬまでね。